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お母さんの声!
2014 / 03 / 23 ( Sun )
「フクシマの母親からのSOS」

結婚6年目にして、ようやく授かった我が子。
2年後に第2子誕生。

健康で元気に育ってほしい。それだけを願っていた。

いわきは海もあり山もあり、とても自然豊かなところである。

自分も生まれ育ったこの地で子育てが出来ることに喜びを感じていた。

毎日のように外に連れ出し、四季折々を楽しみ。幼稚園も外遊び中心のところを選んだ。

ところが、原発事故が私たちの生活を大きく変えてしまった。

地元の美味しい野菜も山菜も魚も食べられない。

外で遊ぶのも安心できない。

子供が大好きな砂遊び、落ち葉ひろい、雨の日の散歩も危険なものとなってしまった。

この先、どうなってしまうのだろう。

こんな生きにくい世の中に産んでしまったことを心の中で子供たちに詫びた。

幼稚園では、室内保育を強いられた。

先生たちは、限られた空間でも子供が退屈しないように体力が落ちないようにたくさんの工夫をこらしてくださった。

でもやはり、お外で遊ばせたい。

幼稚園を休んで遠方の公園に行ったりもした。

行った先で幼稚園の遠足と遭遇してしまうこともあった。

レジャーシートを広げ、お友達と楽しそうにお弁当を食べる園児たち。

それを羨ましそうに見続ける我が子・・・ 辛かった・・・

幼稚園では、室内にプールを作ってくださった。

とても費用がかかったと思う。

健康に元気に楽しく過ごせるように、先生の願いが込められていた。

9月に園庭の除染をする話になった。

これ以上、子供たちを室内に閉じ込めておくわけにはいかない。

もう行政を待っていられない、自分たちで除染しよう。

先生も保護者も同じ考えだった。

一日も早く、子供たちをお外で遊ばせてあげたい。除染の日が待ち遠しかった。

10月、先生・保護者で何度も除染をした園庭で念願の運動会を行うことができた。

時間は短縮で午前中のみ。

真っ白な肌の園児たち。震災前ではありえない。

年長児障害物競走での跳び箱。

お尻をついてしまう子や顔から落ちる子。

自分の体重を支え切れないほど腕の力が弱っていた。

それでも泣かずに障害物に挑む子供たち。

逆上がりも出来るまで限界までみんなが見守った。

「飛び箱も逆上がりもできる年長さんに憧れていたんだ。諦めるもんか!」

体力の衰えを目の当たりにしてしまった運動会。

それでも子供たちは満足気だった。

久しぶりに走った園庭。

先生も保護者も外で運動会が出来たことを嬉しく思っていた。

運動会が終わった頃から、長男の咳が止まらなくなった。

病院を何件か回ったがどこも喘息との診断。

でも喘息の薬がまったく効かない。

夜も咳込み寝付けない。

寝不足が続いて、日中もボーっとしていることが多くなった。

一旦いわきを離れてみよう。

2012年3月に1カ月間保養に出かけた。

5か月間、毎日出ていた咳が3日後に止まった。

保養の大切さを思い知った。

夏休みも丸々1カ月保養に行くことに決めた。

夏休みが終わった頃には、子供たちは大きく成長していた。

それは健康面・体力面だけではなかった。

海や川で遊んだり、山に行ったり様々な経験を積み、長男は活き活きとお外で遊ぶ絵を描くようになった。

地元の海や川、山では遊べない。

野菜を育て収穫できない。

原発事故は、子供たちの大切な経験さえも奪ってしまったのである。

保養を重ね、元気になった我が子だったが、2012年11月に甲状腺検査で小さな嚢胞がたくさん見つかった。

いったい初期被曝をどのくらいしたのだろうか。

癌に限らず、これは大変なことが起こりそうな気がした。

母親としての勘だけだったが、今まで保養でお世話になった方数人に我が子の検査結果をメールで送った。

皆さん真剣にお返事を下さった。

関東の保養を企画してくださっている方にもメールを送った。

爆発直後の初期被曝は、関東の子もしているかもしれない。

同じ母親同士、不安な気持ちは私たちと一緒だった。

この冬も、子供だけで保養に来ている子たちにたくさん出会った。

2週間の保養、小学1・2年生の子さえも一人で来ている。

正直言って異常だと思う。

保養には受け入れられる定員がある。

自分が行かなければその分、別の家の子供が一人保養に行くことができる。

母親は自分も付いて行きたい気持ちを抑え、子供一人で保養に送り出す。

ホームシックにかかる子もいる。

それは年齢関係ない。

お正月を家族で迎えたかった・・、でも保養でお世話になっている方に心配をかけたくない。

陰でそっと泣いている。

子供たちも、ものすごく頑張っている。

心が折れそうなほど頑張っている。

みんなが給食の中、クラスでただ一人お弁当を食べる子。

プールも入りたいけど見学にする子。

避難したが「放射能」と虐められ帰って来た子・・・

初詣の日。

「どうせ夢なんて叶わねーし。」

まだ幼い顔の小学2年生の子がそう呟く。

今までの思いを吐き出すかのように、泣きじゃくって話し始める子もいる。

親にも言えない辛い気持ち・・・

頑張って我慢して、毎日どのような気持ちで子供たちは生きているのだろう。

まずは子供たちの健康を守りたい。

避難したくても経済面や様々な理由で避難できない家庭がある。

せめて線量の低い地域で保養させてあげたい。

でも県や市が動いてくれない。

このままではいけないと、各地で福島の子供たちを受け入れてくれる保養の取り組みをしてくださる団体がある。

ありがたい。

でも支援金で賄われているため、受け入れられる定員がある。まだまだ足りない。

家族で参加できるのが一番望ましいと思う。

でも定員に限りがあるし、働いているお母さんも福島にはたくさんいらっしゃいます。

子供たちも家族と離れて辛いかもしれない。でも保養は絶対に必要だと考えます。

とにかく輪を広げないと。繋がっていかないと。

この国が、間違った方向に進んで行かぬように。

子供たちの未来のため、一人でも多くの方が、この問題に目を向けてくださるよう願ってやみません。

(いわき市 匿名希望)

この国の方向性を正せるのは、私たち大人の意見や行動だと信じています。

皆さんに、広い視野で行動していただければと思います。
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23 : 22 : 53 | 被災地協力&情報 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
NNNドキュメント「チェルノブイリから福島へ-未来への答案-」
2013 / 11 / 01 ( Fri )
ご覧になった方もいるかも知れませんが、2013年10月27日に放送された、日本テレビ・NNNドキュメント
<3.11大震災シリーズ> 「チェルノブイリから福島へ 未来の答案」が次のサイトで見ることが出来ます。

原発作業員の方々に対する東電の事故後の教育の杜撰さも証言されています。

作業員に従事された方の急死者は、正式発表はありませんが200人以上との情報もあります。

お見逃した方は、是非ご覧になって下さい。



NNNドキュメント「チェルノブイリから福島へ-未来への答案-」

http://www.at-douga.com/?p=9826
22 : 18 : 07 | 被災地協力&情報 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ひまわりの種
2013 / 09 / 27 ( Fri )
イベントなどで「ひまわりの種」をお配りしてみなさんのお庭に

撒いていただきありがとうございました。

夏の間はみなさんのお庭で元気一杯に咲いていたと思います。

季節は秋に変わりひまわりの花も枯れ、ひまわりの種を収穫していただき

「子どもの未来を考える会・北杜」に届けてください。

収集の締め切りは、10月15日必着でお願いします。

お届け先が不明の方は、ご連絡ください。090-9670-7549(野々村誠司)
メール child.hkt@gmail.com 


この活動は、原発事故により栽培が困難になった事により

全国のボランティアの人達が代わりにひまわりを育て種を収穫をして

福島の障害者施設に送り、そこで、ひまわり油などの製品になります。

ひまわりプロジェクトに、ご協力いただきありがとうございました。


21 : 51 : 06 | 被災地協力&情報 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ひまわりプロジェクト
2013 / 03 / 26 ( Tue )
福島支援 ひまわりプロジェクトへ会として協力していきます。


ひまわりを通じた“絆”作りをめざして
  昨年の夏は、被災地の福島を元気づけようと、たくさんのひまわりの種が福島へよせられました。私たちは、この大きく育ったひまわりから、人々の暖かさと大地に生きる元気をもらったような気がします。
 私たちは、この多くの全国の方々との絆を深めながら、この長期化する被災地の復興への支援をお願いするため、新たな「ひまわりプロジェクト」を提案し、協力者を募ることといたしました。

 シャロームは、長年、障がいの有る方も、無い方も、共に生きる温かいまちづくりを目指して活動してまいりました。震災以前から行われていた活動の一つには、障がい者と農家の方々が協力しながら、ひまわりを栽培し、その油を製品化するという「食用ひまわり」栽培がありました。これらの活動の中から、農業授産を取り入れた障がい者施設の立ち上げ計画されておりましたが、今回の原発事故で状況は一変し、土壌汚染の明らかな土地でのひまわり油の生産は断念せざるをえなくなりました。

 しかし、ひまわりの種を送り福島を励ましていただいたみなさんとの交流の中で、「来年からは私たちが種を送っていただいって栽培し、ひまわり油の原料としての種を送り返しましょう。」との提案をいただきました。
 これを受け、今回私たちは、障がい者支援のための授産事業として、また、ふくしまと全国の支援してくださるみなさんとの絆事業として、新たな「ひまわりプロジェクト」に取り組むことといたしました。

 この事業が全国に広がり、「ふくしま」と「ふくしまを支援する方々」との絆となっていくことを願っています。一人でも多くの参加をお願いいたします。

内容
 ひまわりの栽培を協力して頂ける形を全国から募り、シャロームからひまわり油を取る特定の品種(春りん蔵)の種をお送りします。自宅の庭などで栽培し、花を楽しんだ後で、額に実った種を採取してシャロームへ送り返して頂きます。
 シャロームでは、こうして皆さまから送って頂いた種を原材料として、障がいのある皆さんと共にひまわり油やドレッシングに加工して製品化します。授産製品として、広く障がい者支援に役立てていきます。



ひまわりプロジェクトHP



21 : 36 : 06 | 被災地協力&情報 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ボランティアバスで南相馬に行ってきました。
2013 / 03 / 19 ( Tue )
野々村です。
南相馬にボランティアバスで行ってきました。

いままで、放射能の危険性をみなさんと一緒に勉強してそれなりに理解をしているつもりです。
これまでにも、宮城の気仙沼や陸前高田にボランティアバスで訪れ津波の被害の大きさ
津波が到達した場所と到達していない場所の明暗や
また、地元の人たちが復興に向けて頑張る姿をこの目で見てきました。

今回、自分自身は軽い気持ちで行ったのではなく
目に見えない匂いもない放射能の恐ろしさを知っているので迷いに迷った決断でした。

チャイルドホクトのメンバーから私の所に電話があり
まだ、小さい子どももいるのだから今回は、キャンセルした方がいいと説得もされました。
本当にありがたい仲間です。

43ひろばやチャイルドホクトのみなさんと一緒に放射能の危険性を広める活動や
被災地の親子を保養としてキャンプのお手伝いをしてきましたが
私は、テレビの報道やみなさんからの情報でしか現地の事を知りません
どうしても自分の目で見て現状を理解したい気持ちが勝ってしまい
行くのを決断しました。

どんな人たちがボランティアで参加するのか?もしかしたら原発に近いから参加人数も少ないのでは?
私の思いとは違い、ボランティアバスは満席の42名が参加です。
春休みの期間ということもあり高校を卒業した人や大学生が半数以上を占めており
その中でも、3分の2が女性でした。
こんなに若い女性の人たちが原発の20キロ圏内に入りボランティア活動をしても大丈夫なのだろうか?
と心配になりました。

私たちがボランティアで行った先は、南相馬のボランティアセンターで
全国から私たちを含め150人ほどが集まり
それぞれ、分担先での活動内容の指示を受けてから持ち場でボランティア活動をします。

そこのセンター長から、できるだけ写真などの撮影は控えて欲しいとの説明を受けました。
センター長いわく、半径20キロ圏内は昼間は住民やボランティアの人たちが立ち入ることが出来るようになりましたが
むやみに写真撮影などをして、ネットなどに投稿することで帰りたいのに帰れない住民の方の気持ちや
風評被害をさかなでしないで欲しいとのお話でした。

私たちの活動内容は、南相馬の小高地区の老夫婦と長男(50歳位前後)が暮らしていた家の瓦礫の仕分けと
ビニールハウス撤去と畑の草刈でした。
私たちが到着すると、老夫婦と長男の方があたたかく迎えてくれて、休憩や昼食の時には、りんごやわかめの味噌汁をご馳走してくれたのですが、さすがに喜んで食べることはできませんでした。

そこでの作業をしていく中で、私はこの作業をする意味などを考えながら作業を進めていました。
休憩の時間に長男の方とお話をすることができましたので、その話の1部を

自分たちは、今ようやく昼間は住んでいた家への帰宅が許されるようになったので
コツコツと家の片付けや畑の整備をしているけれど、もしかしたら、もう、住むことも畑で作物を育てて売ることができないかもしれない。でも、畑で作物を作れば家族はそれを食べることができる
だから、こうしてボランティアさんの力を借りて家族だけでも食べれる作物を作ろうと思うと話されました。

南相馬には、夏に馬追祭りがあり震災前は町の1番のイベントようで
そのお宅にも,馬小屋があり3頭飼っておられたようですが、現在は1頭もいませんでした。
馬はどうされたのですか?と聞きたい気持ちもありましたが私には聞くことができませんでした。
また、今年の夏から馬追祭りが復活するんだよ!と話された時の目が輝いていたのが凄く印象に残りました。

話をしていく中で、放射能汚染でもしかしたら、原発事故前の暮らしには戻れないと感じているようにも思え
でも、万に一の望みはもっているのだと感じ
故郷を捨てて避難してくださいとは言えませんでした。

双葉から遠く離れての上映のあとに、元町長さんが話されたとおり
無駄な被曝を避けるためにも、軽い気持ちでボランティアに行かないでくださいと言われた通り
ボランティアに参加した人の中に線量計を持ってる人がいて
その数値を見せてもらったら、1.6シーベルトの表示でした。
バスの中でも、0.9から0.4と高い数値を表示していました。

今回、私も危険とは思いつつもボランティアに行きましたが
私たちがそのお宅にボランティアに訪れたから
老夫婦や長男の方が、私たちに不満や現実を伝えてもらうことができましたが
もし、誰もボランティアに行かなかったら老夫婦や長男の人達は何を思うのだろう?と考えながら帰路につきました。

現地の人に触れたこともあり、南相馬を出るまでのバスから見える外の光景は
津波で流された車などが放射能の影響もあり、あちらこちらに当時のそのままの状況で残っており。
その光景を目にして、切なくやりきれない気持ちでいっぱいになり涙が止まりませんでした。
南相馬の原発から30キロ離れた場所には仮設住宅が立ち並び、公園で子どもたちが平然と遊んでいました。

誤解されるといけないので書きますが、決して現状を見に行ってくださいではなく
放射能の危険性をもっともっと、多くの人たちの共通意識となるようにしていくことの必要性を感じ
一人一人が背伸びをしないで、やれる時にやれる人が、出来ることを行動していけたらと思います。
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